200通目 壮絶すぎた渡航1ヶ月目を振り返る

ぱんだメンタリティ
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2022/5/19

こんにちは。

今日は少し時系列が飛びまして、現在からお送りします。

ほぼ毎日ブログという名の手紙を認め続け、早いものでもう200通目になりました。

そこで今日は、200通目記念として、私の留学生活の始まり、今は昔となってしまった「隔離生活」が壮絶すぎたので、ここらで振り返ってみたいと思います。

あれから、もうすぐ一年。

壮絶だったな。。。笑

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カナダ到着 〜政府指定ホテル隔離〜

さて、現在私は、カナダはバンクーバーに留学に来ております

カレッジでは翻訳・通訳のコースを受けておりました。

今はだいぶコロナによる規制も落ち着いてきましたが、私がカナダに来た昨夏はまだまだ厳しい状況でした。

中でもきつかったのは、渡航直後の「隔離」でした。

隔離政策についても、どんどんと規制緩和がされておりますが、私が来た際はその規制が一番厳しかった頃だと思います。

まず三日間「政府指定ホテル」にて隔離がされ、その間に陰性であれば、自らが手配した「自己隔離先」で残りの11日間を過ごします。

隔離8日目にPCR検査を受けて、その結果が陰性であれば、14日目にはれて、隔離から開放されるという流れでした。

まず、最初の政府指定ホテルを選ぶ」という余計な手間がそもそも面倒でしたし、その選べるホテルというのも、グレード高い分コストがめちゃ高いか、安いぶんめちゃグレードが低いかというような二択でした。

私は少しでも費用を抑えたかったので、後者を選択

それでも三日間で約9万円ほど。

前職が旅行会社だったこともあり、この価格が”かなり乗っけられているもの”というのは容易にわかりました。ホテル側からしたら、政府指定ホテルに選ばれたら”良い商売”だったと思います笑

カナダで旅行する際は「ベッドバグ」という輩にも注意する必要があると聞いており、どんなに良いホテルでも管理が悪いと出るらしいので、グレードの低いホテルとなればそれは尚のこと。

後者を選んだ私は、渡航準備中に、ベッドバグが出た際の対抗策として、ベッドで寝なくてもすむように簡易的な寝袋を買いました。

実際についてみると、予想ほど、ボロくもなく、サービスが最悪ということもなかったので、いくらか安心しました。

最悪3日間立って寝ることも覚悟しておりましたので笑

部屋はそれなりに広く使えました

隔離中は一応3食ご飯が届けられますが、これにはもちろんクオリティが期待できません。

レパートリーも少なく、同じメニューがローテーションでくるだけです。贅沢は言えませんけどね。

この紙に書いてあるメニューを選びます

元々偏食気味な私は、渡航直後で海外の味付けになれていなかったこともあり、ほとんどメインには手をつけられず、フルーツばかりを食べていた気がします。(フルーツもしゃりしゃりでお世辞にも美味しいとは言い難かったですが笑)

なんかよくわからないご飯たち

そんなこんなで、窓の外から見えるダララマ(カナダの100均的なもの)を眺めながら、これからの留学生活に思いを馳せて、最初の三日間は終了しました。

この窓からこれからの留学生活に思いを馳せました

隔離明けの朝、Uberを自らで手配し、ダウンタウンの隔離施設へと向かいました。

このUberに乗っている時、街中の雰囲気を僅かながらに味わえて、「隔離明けの留学生活を楽しみたいな」と思ったことを覚えています。

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自己隔離施設に到着

隔離施設に到着。隔離施設とは言っても、普通のホテルになります。

ただ、ここからがきつかった。

まず最初に悩まされたのは時差ボケでした。二度ほどの海外旅行に際には時差ボケになったことはなかったですし、最初の三日間は緊張もあってかそれほど意識することがなかったので油断しておりましたが、この時は大いにこの影響を受けました。

日中はまず頭がガンガンして、気持ち悪い状態が続きます。起きててもしんどいので、寝ることになります。すると夜は夜で眠れなくなります。

そのため、朝の5時くらい、空が明るくなりはじめた頃寝て、13時くらいに起きるという生活が続きました。

気持ち悪さや頭の痛さは一週間くらいひっぱりましたね。

次にしんどかったのは、食事事情です。

隔離中は、ホテルの宿泊とは別に食事を手配する必要がありました。前述の通り、私は海外の食事に適応できていなかったので、日本食のデリバリーサービスをお願いしてありました。これは私の中でも数少ないファインプレーでした。

ただ、その食事サービスも安くはないので、私は1日2食のプランで注文しておりました。しかも、少しでも食費を浮かすため、隔離期間が11日ある内の9日ぐらいしか発注していなかったと思います。

2食分の食事を少しづつ切り詰めて(食に使うと変な表現ですが笑)、なんとか11日分保たせました。

そのため、元来食に対してさして頓着のない私でも、この期間は”食べる”ということに対する欲求が強くでましたね。隔離中は大してすることもないので、楽しみも食事くらいしかないですし。

珍しくYoutubeで、「日本の定食屋さんを回る動画」や「一人暮らしの人が家で料理を作る動画」なんかを見漁るというようなこともしましたね。

気を紛らわせられたのか、却って食欲を刺激することになったのかはわかりませんが笑

ただこの少ないながらも「日本食を食べれるありがたみ」は日々を生きるにあたってのモチベーションとなりました。

この時だけは、大嫌いなマヨネーズやトマトですら頑張って食べたくらいですから笑

支えてくれた日本食たち
レパートリーは豊かでした
牛丼おいしかった

ここまでの二つに加え、窓が開かないため空気の入れ替えが満足にできなかったり一歩も外にでられないなど、気持ちを落ち込ませる要素はそこここにありましたが、最後にあげるものに比べるとどれも些細なことでした。

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PCR検査 〜悪魔の文言「damaged specimen」〜

隔離中私を最も悩ませたのは、”PCR検査”です。

正確には、検査よりもその「結果の待機期間」という方が正しいでしょうか。

先ほども書きましたが、この延14日間の隔離期間の8日目に最後のPCR検査がありました。ここでの結果が陽性であれば問題なく隔離を終えられます。

ただ、ここが問題でした。

簡単に、検査の流れについて触れておきます。

まず、YVR空港に着いた際に、全員PCRの検査を受けて、検査キットも受け取りますこのキットを8日目に開封し、検査を受けることになります。

当時の検査場です。
ボケまくってますがここでキットを受け取りました

検査はオンラインで、医師とビデオ通話をしながら行われます。このビデオも、繋がるまでに待機時間があり、長いと数時間待たされます。しかもいつ繋がるかは不明のため、画面をずっと繋ぎながら待機する必要があるのです。

私は「明け方の方が待ち時間が短い」と聞いておりましたので、午前3時ほどに受けたと記憶しております。待機時間は30分ほどでした。

辿々しい英語で、画面の向こうの医師とコミュニケーションを取りながら、検査を行い、パッキングするまでが一連の流れです。

あとは、運送会社に回収に来てくれるよう予約。早いと翌日の午前中に回収に来てくれます。

検査の結果は2〜3日で出ます。

ここまでは問題ありません。そして結果が3日目の朝に届きました。

検査結果はdamaged specimen

実際に出た悪魔の結果です

???

陰性を示す「negative」でも、陽性の「positive」でもありません。

私は混乱しました。ですが、とりあえず字面を見るにつけ、良い印象ではありません。

調べてみるとどうやら「検査キットの故障」とのこと。

困ったことになりました。

今まで聞いたことのないケースに焦りました。ここで「陰性証明をもらって終われる」ものと思っておりましたから。

検査結果を管理している保健センターに問い合わせ、再検査が必要ということになりました。

ここで、問題が二つ生じました。

一つは隔離施設の問題陰性結果が出ない以上、外にでることができないため、隔離施設を延長する必要がありました。

そしてもう一つは、食事問題元々少ない日数分でやりくりしていた私に、延長分の食事が残っているはずもなく、こちらも延長が必要になりました

再検査」といっても、すぐに受けられるわけではありません。

キットが届くのに数日。検査を受けて取りにくるのに数日。そして結果がでるのに数日です。

こっちの運送会社は日本のように、すぐに対応してくれるわけではありませんから。

約一週間の延長がこの時点で確定したことになります。時差ぼけもあって疲弊していた私のメンタルはさらに落ち込みました。

そして迎えた再検査

医師に現状を伝えましたが、同情されるだけでした。まあそれは仕方ないですが。

何が原因かはわからなかったので、しっかりと医師と画面上でパッキングまで確認してもらいながら検査を終えました。そして回収を依頼。

そして数日後。

届いたのは、見覚えのある「damaged specimen」でした。。。

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終わらない隔離期間

この時の気持ちは言葉では形容し難いものでした

この時点で合計20日ほどの隔離が確定し、それに伴って更なる費用の発生も確定しました。

ただでさえ、普通の留学生活では必要のない費用が、この隔離関連だけで数十万分も飛んでいます。

費用の問題に加え、時差ボケと食事事情による、体も心もギリギリのところでした。

それだけ、ここでの隔離は過酷でした。

なにせ原因がわからないですし、調べても事例が少なすぎて特定することもできません。

管轄の保健センターに問い合わせても、再検査の提案だけ。

留学エージェントも事例がないので、保健センターへの問い合わせを提案されるにとどまりました。

どうしていいかもわからないので、日本大使館にまで連絡しました。

それだけ追い込まれておりました。

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神の遣い 日本食デリバリーサービス

唯一の救いは、お願いしていた日本食のデリバリーサービスでした。

従来のサービスは一週間単位でしかお願いできないものでした。ただ、事情をお伝えしたところ、こちらを慮ってくださり、「延長になった日数分だけいくらでも利用してくれて構わない」と非常に寛大な対応をしてくださりました。食事の内容や量に関しても融通を効かせてくれた上に、状況についても暖かい言葉をいただきました。

カナダに来て以来、一番最初の心の通った対応で、痛く感動し、心の底から感謝しました。

アルカトラズからの脱出

そして、3回目の検査を迎えました。

この3回目の検査で、漸く、陰性結果をもらうことができました

カナダの(というより海外の)配達サービスの質の低さは渡航前聞いていたので、こちらで予想した原因としては、「配達時に何かあった」としか考えられない(僕らのパッキングに問題がないことは医師が保証してくれているので)のですが、今となってはわかりようもないことです。

別室にて隔離中だった、一緒に来ていた友人はあろうことか3回目も同様の結果でした

ただ、「流石にこれはおかしい」ということで、再三問い合わせたところ、総隔離期間が20日を超えたということから免除になりました。

こうして、壮絶だった私たちの隔離期間は漸く終わりました。

この期間中、常に友人と話していたのは「人生で最も無為な1ヶ月だね」ということでした笑

その後、隔離を終えても、家が見つかるまでの期間はしばらくここのホテルにはお世話になりました。

そのため、授業の最初の1ヶ月はこのホテルにて受けることになりました。

ホテル自体のサービスは窓が開かないこと以外(これも仕方のないことです)は満足のいくものだったと思います。他が壮絶すぎて記憶にないだけかもしれませんが笑

結びに

こうして長すぎる隔離は明けていき、ようやく私の初の海外生活は動き出したのでした。

隔離中もう一つ自分にとってありがたかったのは大好きなNBAが毎日見れたことちょうどプレイオフの時期だったので、働いていたら見れないくらい、ほぼ全ての試合をみることができたのは数少ない幸せでしたね。

この後も、ワクチンに悩まされたりクラスに日本人しかいなかったり学校に実際に通えたのは3日間だけだったり、有給保証と言われていたインターンが無給だったりと、色々と波乱続きの毎日が続いていきます。

初めて海外で生活する私は、それらにいちいち揺られるばかりでしたが、なんとか生きております。

私にはどれも大事件とも受けとれるものだらけでしたが、異国で生活するというのは、少なからずそういったものに突き回されるというもので、私の経験した隔離以上に壮絶な経験をされた方もいることでしょう。

よく「世界にでると日本の良さがわかる」ということをよく耳にしますが、本当にその通りですね。

我らの日出づる国のなんと居心地の良いことか笑

これを書いている現在は、恐らく入国に関してもう規制という規制もなく、だいぶ留学のハードルも一年前と比べて下がっております。

街中で見かける日本人の多さがそれを物語っていますね。

日本人が多くいることに嫌悪感があるわけではないのですが、自分達が経験したあの日々を乗り越えずに生活できているんだと思うと、某巨人漫画の有名なシーンが浮かんでくることもあります。

ごく稀にですよ! ごくまれに!笑

さて、本当は今回、私の留学生活をダイジェストでお届けできればと思ったのですが、隔離生活をダイジェストでお届けるするだけで、壮絶な当時を思い出し、気力を使い果たしてしまいました。

今日はこの辺で筆を置かせていただきたいと思います。

もしも、需要があるか、気分が乗るか、もしくはこういったちょうど良い区切りがあれば、このブログ開設前の、語られてない残りの期間についてもお届けできればと思います。

したらば失礼!

また次回は時を少しもどしてお会いしましょう!(^ ^)

P.S.

ちなみに今回登場した、神すぎる日本食デリバリーサービスは「ジャパンスカイダイニング」さんになります。

隔離サービスは既に終了しているかと思いますが、機会があれば是非利用してみてください!

ワーホリ申請をした回はこちらです!

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